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ここは、京都・岡崎。情緒あふれる一軒家
岡崎庵。
この地で愛する人との幸せな暮らしを願い、
二人の穏やかな日々を手に入れた女性の終着地。
「夜の蝶」この小説のモデルにもなった空飛ぶマダム 。夫婦としてここから始まる皆さまの幸せな暮らしを願い、実に多くの人が幸せな生活を送ることからいつしかここ岡崎庵は幸せの始まりの地と言われ、結婚式を行われる方々に支持されるようになったと伝えられます。
半生が映画や小説のモデルにもなった
女性・上羽 秀(うえば ひで)とは
1938年に「そめ」という芸名でここ京都・祇園で芸妓となるところから話は始まります。
芸妓となるやいなや瞬く間に「売れっ子」となり、多くのお客さまを魅了した後、秀は1948年・木屋町の自宅を改装し4~5名ほどが掛けられる小さなバー「おそめ」を開店することになります。
秀の美貌と気立ての良さから、当時多くの名のある作曲家や小説家なども通う大人気のお店となったバー「おそめ」は、常連客の要望に応える形で1955年に東京・銀座にも店を出すこととなりました。
銀座「おそめ」は開店当初から、その噂を聞きつけた映画人や政治家など多数の客が押し寄せるほどの盛況ぶりで秀(ひで)は、土曜日に京都に戻り、火曜日には東京へと発つ生活を送るようになったことから「空飛ぶマダム」として世間に知られるようになりました。
そんな1957年、川口松太郎の短篇小説『夜の蝶』が掲載されます。まさに上羽 秀をモデルとしたこの小説が話題を呼び、秀も一躍時の人として注目されることとなりました。
しかし、1978年一世を風靡した店は時とともに静かにその灯火を落とし、上羽秀は生まれ育ったここ京都・岡崎の地に愛する夫と静かで、幸せな時を過ごしたいと思うようになり、能舞台付きの豪邸を建て、夫(俊藤浩滋)と娘(高子)と共に余生を過ごすようになります。
二人が京都・岡崎に 邸宅を構えた理由に「京都で育ったから。そして川のせせらぎと大文字の送り火の二つを故郷の象徴としていつでも眺めていたいから」という秀の希望が強かったと言われています。
上羽 秀は89年の生涯を閉じるまで、ここ岡崎庵で幸せな晩年を過ごし、その波乱に満ちた半生とともに、最後には幸せな時を過ごせる空間として伝えられることとなりました。
この上羽 秀の生涯・願いを受け継ぐように「岡崎庵」では、幸せな結婚式場として、素敵な生活を始められるお二人の始まりの一歩を全力でお祝い・サポートすることをコンセプトとして、お二人のご希望・ご要望を具現化するプラン・お手伝いをさせていただいております。
また、本格的な能舞台で挙げる挙式は、本物の和の空気・趣を感じることができると多くのお客さまにお喜びいただいております。
その思いは、上羽 秀が願ったことと私たちは大切に受け継ぎ、伝えていきたいと思っております。
一日一組だけ 京都ならではのおもてなし婚。